OM707/OM101とOM-AFレンズとは

この「OMマニア」を作るにあたり、当初は「OM707とOM101のいわゆる3桁シリーズについては、OMシリーズとしての矜持を感じられないので、本ホームページでは紹介しない」としてきた。

人の心の遷り変わりは激しいもので、「紹介しない」としてたにもかかわらず、プラカメにも興味がでてきて、OM707/OM101がどんだけ面白いカメラなのか(逆な意味で…)関心がでてきて、、OM101を触っているうちに「あれ?かっこいいなぁ」と思うように・・・。

ということで、今回の記事は、 OM707/OM101 とその OLYMPUSレンズ (OM-AFレンズ)についてその歴史から紹介したい。

αショック

1984年までのAF一眼レフといえばペンタックスME-F 、オリンパスOM-30、ニコンF3AF、ミノルタX-600、チノンCE-5 など、レンズ駆動型のAF一眼が存在してたのだが、専用レンズに電源・モーターを搭載して大きく重く、AF専用レンズのみのAF機能対応であり、合焦速度もとても遅く、とても実用的なものではなかった。

1985年(昭和60年)2月 、 私が高校を卒業する直前だったが、 ミノルタから衝撃的なAF一眼レフカメラが発売された。

「α-7000」 だ。

ミノルタ α-7000は、ボディ内にレンズ駆動用電源やモーターを搭載することでフォーカスの速度や精度もマニュアルフォーカスと遜色ないレベルになり、豊富なAFレンズ群を抱える実質的な世界初のオートフォーカス一眼レフカメラシステムとして発表されたのだ。

ちなみに私も、結婚し子どもができたばかりのころ ミノルタ α-7000 にはとてもお世話になった。いつのまにかミノルタに鞍替えしたのもこのころだ。※結局またOLD OMに戻ってきたのだが。

OM707

α7000 の出現がカメラ業界に与えた影響は大きく「αショック」と呼ばれるようになった。以来各メーカーはAF一眼レフシステムの開発へと全力を傾け、日本光学、京セラなどからα-7000の対抗機が次々登場する。

そのような中、1986年(昭和61年)オリンパスから満を持して発表されたのが「OM707」なのだ。

デザインはα7000によく似たイメージだ。名前も7をつけて、よっぽど意識していることがうかがえる。

ある意味、「メーカーあるある」だが、 開発側には営業側からの強い要請があり、対抗製品の開発を急かれたのだろう。 対抗馬を出すことが目的となった製品開発の結果、品質は二の次となり・・・。

こうして産まれたOM707の評価は決して高くない。とても気になるのは、基本性能の低さだ。このOM707の不満情報は数々のブログなどのコンテンツで紹介されているが、私なりに少しまとめてみる。

  • 露出は完全オートのプログラム露出のみ。
  • マニュアルによる露出設定ができない。
  • 絞り優先AE/シャッター速度優先AEすらできない。
  • OLD ZUIKOレンズを装着するときは強制的に絞り優先AEになる。だが、シャ速の表示も露出オーバーアンダーの表示すらない。
  • 露出補正ができない。(AEロックはある)
  • オートフォーカスをマニュアルフォーカスへの切り替えはパワーフォーカス(PF)で。※レンズにピントリングはなく、スライドボタンによりモーターで焦点を調整する仕組み
  • パワーフォーカス(PF) はスライドボタン操作。使いにくいのなんの。シビアなピント合わせは曲芸並みのスキルが求められる。
  • スクリーンが交換できないので、 パワーフォーカス(PF) でのピント合わせは一苦労。
  • 電池ケースの蓋はスライドさせると外れるタイプ。しかもプラスチック製で、強度も弱い。中古市場でもここはかなりの頻度で壊れている。(経年劣化しやすい構造)なので壊れるか無くすか。なくなったらもうこのカメラは使えない。
  • レンズはマニュアルフォーカスリングも絞りリングも脱着レバーも存在しない。ただ、はめるだけで(マニュアルでは)何もできない。
  • 大きさもα7000よりかなりゴッツく大き目。※コンパクトを売りにしてきたオリンパスなのにどうして!?

こうしてOM707は、「発売することのみを目的にした商品は、必ずしも良い商品となりえない」という格言を証明してくれた商品となった。

OM設計者で取締役であった米谷美久氏も「こういうオートフォーカス機は私の趣味ではない」とコメントしていたという。

ただ、グリップ部にポップアップ式のストロボを内蔵したことがとてもユニークだ。グリップを交換式にするという発想が面白い。もしかしたらハイパワーのモータ内蔵グリップ。長時間電池搭載グリップなどグリップ交換によるあたらしい拡張性を考えていたのかもしれない。

他にとりえがないからユニークな発想で勝負したのか。いま思うと、追随しようとするだけのモノマネではなく、アイディアによる独自性を出すことを忘れていないあたりが、さすがオリンパスと感心する。 ただ、残念ながら市場では一眼レフとして評価されなかった。

ただ、OM707に限らず、 当時のα-7000 追随組の製品は皆チャンガラモノだ。

Nikon F-501はオリンパスと同様マウントを共有させて古いレンズも付けられるようにしただけでなくMF機能やマニュアル露出など配慮ある製品だ。けれどもAFは遅いし迷いまくるし。AF性能は α-7000や OM707に遠く及ばなかった。α-7000とOM707の AF性能は 同じような感じ。 もしかしたら同じ ハネウェルの特許をつかっていたからか?

京セラの230AFもペンタプリズム部に着脱式のストロボを装備した OM707にも似た変わり種。壊れやすくAFも実用的でないと不評だった。

そんな中、α-7000は発売と同時に飛ぶように売れ、低迷を続けていた一眼レフカメラ市場を活気づけることに成功。

その後α-9000という上位機種、次世代機の発表(α-7、α-9)まであり、このままミノルタが業界の覇権を握るのかと思われた矢先。。。 

第二のαショックが起きたのだ。。。

ハネウェル特許訴訟事件

1987年(昭和62年)4月、米国のハネウェル社が突然α-7000の自動焦点機構が自社の特許を侵害していると主張して、ミノルタに裁判を起こした。

オリンパスとしては戦々恐々だったのではないか。だって、OM707も同じ ハネウェルの特許を利用してたんだもん。

α-7000は売れているから訴えられた。 OM707 は売れてなかったからすぐには訴えられなかった?のだろうか。売れている商品はたたかれる。覇者の宿命だが、オリンパスとしては「次は我が身」と考えていたのではないか。

結局1992年3月にミノルタがハネウェル社に約165億円の和解金を支払って裁判は終わった。和解金以外にも損害賠償やαの販売価格の10%の使用料を払い続けたらしい。その後ミノルタ社は衰退しついには 2003年8月にコニカと経営統合し、コニカミノルタとなってミノルタの名は消滅することになる。。

OM101

ハネウェル社が裁判を起こした翌年の1988年2月、OM707の後継機としてOM101が発表された。α-7000の後に出たのがα-9000なのだから対抗してOM909としてもよさそうなものだが、いきなり101にリセットした感じになった。

それというのも、 OM101はパワーフォーカス(PF)機でありオートフォーカス機ではないのだ。同時発売のレンズもPF専用レンズとしてオートフォーカス機構が取り除かれた。

すなわちOM707は最初で最後のフイルムカメラ・レンズ交換式AF一眼レフとなった。 つまり撤退したのだ。

裁判がはじまったころのオリンパスはミノルタが負けることが既にわかっていたのだろう。負けるとわかっていたから。自主的に身を引いたのだ。ただ、結局オリンパスも ハネウェル社から訴えられ42.3億円支払ったらしい。

(言い方は悪いがハネウェルにボラれたんだよね。) 

OM707は発売を急ぐあまりに実に品質を無視した中途半端な製品になってしまった。そこで次作機にはかなり反省点を盛り込んで設計と開発を大いに見直し力作をめざしたのだろう。その証拠にOM101はそのデザインも内容も完成度がとても高いカメラだ。

ところが開発中にハネウェル社の訴訟問題がありAFから撤退することになった。さらに設計も見直したのだろうし、開発チームはかなりの苦悩と議論をへて パワーフォーカス(PF)機 として発売することになったのだ。

かつてOM10がマニュアルアダプタというマニュアルを拡張オプションするという商品で市場を驚かせた。じつはこのOM101はOM10同様にマニュアルアダプタがオプションで存在する。ちょっと幅が大きくなってコンパクトなOMとは言えなくなるのが難点だが、マニュアルが使えるようになるのはありがたい。

左が マニュアルアダプタ未装着、右が マニュアルアダプタ 装着の状態だ。

こうしてまたオリンパスらしいユニークなコンセプトのカメラの誕生となったわけだ。そこが面白いところ。

実はOM101の内部には、なぞの空間がある。ここには本来AF機能の基盤を設けていた場所だ。発売後もマイナーチェンジでAF付として発売する可能性も考慮して空間を残したのだろう。裁判でミノルタが逆転勝訴した場合の処置だ。

結局、ミノルタは負けた。OM101も売れなかった。デザインはかっこいいし、パワーフォーカス機としての操作はとても快調で心地よかったのでとても残念だが、その時代の市場は本格的なオートフォーカスカメラシステムを求めたのだ。そのニーズに答えることに成功し業界の覇者として君臨したのが結局のところ後出しジャンケンのキヤノンのEOSシステムだった。。。。

オリンパスはOM707/OM101ともに大失敗作との烙印を押され、フィルム式の レンズ交換式AF一眼レフから撤退というオリンパス・カメラ史の黒歴史を刻むことになる。

OM-AFレンズとは

そんな背景があって、 OM707/OM101ともに短命に終わった。その 専用 交換レンズの種類も少なく発売期間も短く出荷量も少なく、中古市場ではとても稀少な存在だ。

この専用交換レンズ群にはZUIKO(ズイコー)の称号は与えられていない。 「OLYMPUSレンズ」というのが正式だ。マウントはOMマウント(改良型)なのでOMレンズの部類だ。そこで本レンズ群をこのサイトでは「OM-AFレンズ」と呼ぶことにした。

※正式にはPFレンズも混ざっているが、まあそこは多めにみてね。

「OM-AFレンズ」 軍は次の10種しか発売されなかった。

  • 24mmF2.8AF
  • 28mmF2.8AF
  • 50mmF1.8AF
  • 50mmF2PF
  • 50mmF2.8AF
  • 28-85mmF3.5-4.5AF
  • 35-70mmF3.5-4.5AF
  • 35-70mmF3.5-4.5PF
  • 35-105mmF3.5-4.5AF
  • 70-210mmF3.5-4.5AF

35-70mmF3.5-4.5AFと35-70mmF3.5-4.5PFは、前述のとおりハネウェル特許問題の関係でAF機構を付けなかったのがPFとなっただけだ。なので中身が全く同じ。50mmF1.8AFと50mmF2PFも絞り値がわずか違うがほぼ同スペックだ。したがって、同等のものを除くと8種類程度になる。

せめて21mm、85mm、100mm、200mmぐらいで明るめの単焦点があれば現在でも使えたのになぁ。とても残念だ。

でも流石に映りは素晴らしいハズ! OLD ZUIKOにはない設計のレンズもあるらしいし、同スペックでも写りが改善されているのもあると聞く。

そう考えるとこの OM-AFレンズを何としてもデジタルで使いたい。

私は当初カメラと同時に入手しやすい50mmF2PFと35-70mmF3.5-4.5AFしかもっていなかったのだが、それ以外の稀少種(?)を 縁あって海外の知り合いが譲ってくれ、全種そろえるのに成功した。

そこでマウントアダブターを探す。だが探せど探せど存在しない。レンズそのものが少ないのだ。利用者も少なければマウントメーカも製品にできないだろう。

そこで OM-AFレンズをソニーα.Eマウントへのマウントアタプターをついに自作したのだ!

難しかったのは、この OM-AFレンズ は、ピントも絞りも脱着まで全ての機能がカメラ側に依存してることだ。すなわちレンズの全ての機能がマウントアダプター側でできるようにしないといけない。

さてどうやって作ったのか。この続きは次のブログのお愉しみ・・・。つづく

OM-2N + H.ZUIKO AUTO-W 24mm F2.8でお散歩。

今回はひさびさに銀塩カメラでお散歩だ。

今回のお供は、OM-2N + H.ZUIKO AUTO-W 24mm F2.8 だ。この24mmは初期の銀縁タイプでモノコート。いい味を出してくれるに違いない。

さて本体のOM-2Nの方はというと、新宿のマッ〇スカメラで格安で購入したブツだ。

傷の微小な新品並みに綺麗な本体だったのだが「露出計が壊れているので飾りにしかなりません」とのことで格安だった。だが、直感的に調整で治るだろうと予測して即購入したのだ。

予想通り、露出感度のずれが原因で、ASA100(現在はISOと呼ぶ)のフィルムの場合400にセットすることでほぼ適正露出っぽくなった。今回の散歩はAE露出がちゃんと写せているかの実験である。なので全てAEオートで撮影した。

ところで、いずれまとめて記事にしたいと思っているのだが、OM-2は世界初のTTLダイレクト測光によるAEオート機だ。これは撮影時フィルムに写り込んだ光の量をフィルムからの反射光を利用してダイレクトに測定して速度調整して正確な露出にあわせるというもの。以降OMシリーズのAE機はこのTTLダイレクト測光が全て採用されており当時のオリンパスカメラの最大の特徴となっている

ところが現在ではこのTTLダイレクト測光が逆に仇となって「故障」と判断されることが多いのだ。

それはというと・・・OMのTTLダイレクト測光はフィルム面の反射する光の量をセンサーでとらえて測光している。つまり、フィルムを装填していないと正しい速度にはならない。フィルムからの反射光と空の場合の反射光では光の量がまるで違うのだ。

そのため、オートで露出計が示しているシャッター速度と、実際に(フィルム無しで)シャッターを押したときのシャッター速度が違うという現象が起こる。

私らOM現役時代の人間には「そんなことあたりまえじゃん」となるのだが、最近のデジタル世代には理解できていないことも多いのだろう。

で、「壊れている」「露出計がおかしい」「シャッターが不安定」というレッテルが貼られてしまうのだ。

今回購入したOM-2Nもマッ〇スカメラさんも同様の判断だったのだろう。しかも同時に露出調整が必要になっているので、「まちがいなく故障」と判断されたに違いない。

まあでも、そのおかげで安くて手にいれられたのだけどね・・・。

 

で、話は元に戻るが、今回のお散歩は柴又だ。

フィルムはキタ〇ラで買った富士フイルム業務用ISO100/24枚撮りこの日、柴又駅界隈は観光客でにぎわっていた。プリントからスキャンしたので、コントラストがキツイのだが、ご勘弁を。いずれフィルムスキャナーを手にいれて差し替えたい。

ここでの寅さんはある意味地元のヒーローだな。曇りの日の撮影となったのと逆光でモノコートの独特なにじみがでてしまった。色乗りが悪いのはフィルムのせいだろう。

こういうピントを活かした撮影が大好き。24mmF2.8だが開放で結構ボケてくれた。

沿道のお土産屋でみつけた大量のダルマ。色乗りがレトロ。レンズの影響なのかフィルムの影響なのかなぁ。

濡れた石像には銀塩カメラが似合う。

レトロなカメラにお似合いのレトロなお店。

参道はにぎわっています。

折角なので帰りはスカイツリーも。

レトロな銀塩カメラでの楽しみは、すぐに確認できないこと。あとで、現像した写真をみて、その時によみがえることだな。ああたのしかったー。

OM-D E-M1 Mark II モニター当選!試用レポートその2


前回の記事に引き続き、OM-D E-M1 Mark II 試用レポートを今回も行うことにした。

いやー、カッコイイ~

一ヶ月も共にしてくると、やはり情がでてくるものだ。
お借りしたはずの「OM-D E-M1 Mark II 」がいまでは「おれのマークツー」になっちゃった。
こうして買わされることになるんだろうな。まあいいカメラなのでほしくはなるよね。

さて、今回は、これまで撮影してきた作例を通じてレビューをどうぞ。

まずはこの作品。

最高18コマ/秒のAF/AE追従連写を試してみた。
鳥が羽ばたく瞬間。。。OM-D E-M1 Mark II のプロモーションビデオで見た鷹やフクロウの飛翔シーンを撮りたかったのだが、AF追従連写はそもそも練習が必要のようだ。どうも結果はカメラのせいではなさそうだ。

家族で大阪のUSJに行ってきた。真夏のイベントで、ミニオンのハチャメチャパーティとかで、水鉄砲をつかって撃ち合いになった。そこは防水の「OM-D E-M1 Mark II 」だ。水をびしゃびしゃにかぶりながらの撮影になった。普通だと躊躇してカメラをバックに収めちゃうはずだ。安心感があるからこそ積極的にとることができたのだ。

続いては家族で海に行ってきた。「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 PRO」は望遠でも広角でも、抜群の解像度とキレキレのコントラストを備えている。子ども撮影のようにとっさな動きに対応するにはもってこいだ。

水族館にも向かったが、早い動きがあり薄暗い水族館は昔から写真撮影は難題だ。こういう場所でのファインダーはEVFが便利。光学ファインダーの一眼レフだと何を移そうとしているのかわからないこともあるが、EVFではそんなことがないのがいい。

そういえばフラシュは使うことがなくなった。なにせ6.5段の手ぶれ補正効果だ、フラッシュなしが動物にも他のお客様にも安心だ。

8月6日は広島では原爆慰霊祭のある日だ。その日の夕方には平和を願っての灯篭流しが行われる。こうした夜間撮影を試してみた。思いのほか、とっさな対応が求められたが、期待以上に動作してくれた。ミラーレスなのに。。3枚目の少女の後ろ姿は、とっさの瞬間を撮ったものだ。最大の特徴といっていい6.5段の手ぶれ補正効果とカメラのレスポンスの速さによって作ることのできた作品といっていい。

尾道をぶらぶら散歩しながら撮影をした。心トキメク瞬間がシャッタ―チャンスだ。お散歩カメラに使うにはもったいない気もするが、とても楽しいひと時を感じることができた。その場で作品作りが楽しめるのだ。アートフィルターは十分な量の種類があるのだが、その場の思い付きでアートフィルターを変化させながら作品ができていく。「もっと時間をかけて撮影を楽しみたい」と思わせるカメラの魅力がある。

実家で花火をして遊んだ。それぞれの感情を写しとることができた。6.5段の手ぶれ補正効果は絶大である。「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO」はF4という暗さだが、そのようには感じられない。手ぶれ防止機能がなければブレまくっていただろう。

 

OM-D E-M1 Mark II モニター当選!試用レポートその1

このたび、OM-D E-M1 Mark II にモニター当選!いえーい。
(2017年7月15日~8月14日までの1か月限定)

このサイトはOMはOMでもかつてのオールドカメラであるOMシリーズのカメラとオールドZUIKOを紹介するサイトなので、最新のデジタル機である「OM-D E-M1 Mark II」をレビューするとは想定してなかったのだが、せっかくのモニター当選なのでレポートすることにした。

モニターとはいえ、タダでもらえるわけではない。本キャンペーンの場合は丁重にご返却しなければならないルールだ。しかも「作品提出」と「レポートの作成」、そして「SNSかブログで紹介」しなければならないという宿題付きだ。

そのためここで紹介することにしたわけなのだが、宿題が多すぎて、モニターに当選したのは良かったのか悪かったのか微妙なところだ。ただ、せっかくの今上OLYMPUS様からのありがたい機会を頂いたわけなのでいろいろ試してみることにした。

やはりこのフォルムはカッコイイ。

あのOM-3Tiそっくりだ。
1994年11月、OM3Tiと同時に発売されたのがZUIKO 35-80mmF2.8というオールドZUIKO最後のプレミアム高級ズームだったが、その組み合わせにそっくりだ。

ちなみにこの写真は私の自宅スタジオで簡易撮影したものだ。せっかくなのでお返しする前に記念に撮らせていただいたわけ。
ところが、後で気づいたのだが、フードが同封されていた。今上オリンパスではフードは別売りと聞いていたので、箱の中身をを見落としていたようだ。
みなさーん。M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 PROにはフードが付属されてますよー。気を付けましょう。
フードを付けて撮影したらOM3Tiにもっとそっくりだっただろうかなと思う。

さて、肝心の操作について、オールドOMマニア的に感じたことから書いていく。

①軍幹部の操作

まずは軍艦部(上部操作部のこと)だが、メインスイッチは古くからの伝統的な位置にある。1972年7月発売のOMシリーズ元祖であるOM-1の改名前のM-1からこの位置にメインスイッチがある。伝統を重んじるオリンパスらしい意気な計らいだ。私のようなオールド時代からのファンに対する配慮だろうか。

またそのメインスイッチあるスイッチ群の形状。これはまさに「フィルム巻き戻しレバー」そのものじゃないか!といっても若い人にはわからんだろうなぁ。

この「フィルム巻き戻しレバー」チックなデザインのボタンを使ってAFモード /測光モード/連写モード/セルフタイマー/HDRモードが切り替えられるようになっている。これは便利だ。というか操作性は非常にいい。ささと切り替えられられる。メニューからもごもご切り替えに迷うなどストレスなく対応できた。

ところで右手の人差し指で操作するフロントダイヤルと親指で操作するリアダイヤルという二つのダイヤルについて。これには意見がある。

フロントダイヤルで露出補正。リアダイヤルは絞り優先オートでは絞り調整、シャッタースピード優先オートではシャッター速度を調整するわけである。

最近のほとんどのデジタルカメラはこれの操作であたりまえのことであろう。でも私にはこの親指でクリクリするのはすきじゃない。まどろこしいのだ。F32からF2までさっと移動させたいのに、親指でクリクリクリクリやり続けなければならない。そのうちシャッターチャンスを逃すかもしれない。

オリンパスはかつてカメラの大きさを小さくするため、常識では軍艦部に置かれたシャッターダイヤルを、レンズマウントに並べたリング方式にした。操作性としてもコンパクトさを実現したことも、当時としては画期的な発想だ。

レンズのピントと絞りとならんでシャッタ速度を左手で調整するのだ。オールドOMで親しんだ世代はみな左手で絞り・シャ速のリングを回す。これは体に染みついている。これこそオリンパスの伝統でありOM文化なのだ。

OMの伝統に従っているようで電源レバーなど見た目のデザインだけではうなづけない。どうして操作性としてのOM文化を継承しようとしなかったか。伝統とは形だけでなく心の問題なのだ。
右手の親指クリクリよりもマウント周りににリングをつけてササーとレンズを支える左手で操作したほうがレスポンスは絶対にいいはずだ。

こうしたオリンパスが持つ操作性におけるオリジナリティを大切にした商品をこれからも出してほしいものだ。次回作に期待しよう。

②グリップ

さて本体ははやり小さい。この大きさでこの性能でフラッグシップ機だ。オリンパスらしい。

その昔、カメラは見た目大きくてズッシリしてガジャガジャうるさいほうが良いとされた。昔はカメラはとても高級だった。高いお金をはらったからにはそれらしい見た目とその大きな所有感を味わえれうほうが良かったのだ。

しかし現実はそれとはちがう。小さく軽くて静かな方がいい。まちがった世の常識を現実的で利便性につながる常識にかえた。それがオリンパスだ。OM-1開発者の米谷美久氏はこれを「重い・大きい・うるさい=カメラ三大悪」と呼んで解決するための結論がOM誕生となった。

しかし米谷氏は、なにからなにまで小さくしようとしたわけではない。ダイヤルやレバー、マウント径や暗室部の大きさなど、操作性能に必要な部分は逆に大きくした。形状は小さく、操作は大きくがOM設計のコンセプトだ。OMの後発で単に小さくしたPENTAX MX とはわけが違う(OM-1と比較し形状は1mmづつ小さくできている。だが故障がおおくメンテナンスもしにくいという話だった)

「小さく大きく」。OM-D E-M1 MarkIIのグリップを握った瞬間、まさにそのオールドOMの基本思想を思い出した。本体は小さいがグリップホールド感はむしろ大きくゆったり感じる。
小さく大きな所有感を味わえるカメラなのだ。

③メニュー操作

実は今回の試用でOM-Dを初めて触った。

私は基本オールドOMマニアで旧ZUIKOが大好きなので、基本フルサイズでなければ古いレンズの神髄は得られないと考えている。
35mmを捨て、4/3やmicro4/3というセンサーサイズで新しい市場を開拓した今上オリンパスのそのチャレンジ精神には敬意を払いたいと思う。だが私の大好きな旧ZUIKOを35mm換算で倍の焦点距離として使うことになるのにはどうしても抵抗があったのだ。(オールドZUIKOは捨てて今のM.ZUIKOに買い替えればいいんだけどね。捨てれんのよ)

と、言い訳が長くなったがそんなわけで本体はSonyのα7IIを使ってる。デジタルメニューの操作性はα7に慣れていて、OM-Dのメニューは初めて触る。なので心配だったのだ。 が、、

全く心配なかった。。。すっごくわかりやすい。ソニーよりいいぞ!メニューは。

④EVFファインダー

ファインダーについては「光学ファインダーを超える電子ビューファインダー(EVF)を実現」という触れ込みもあり、かなり期待していた。
これまでのEVFと比較すればかなりよくなっているらしい。

だが、α7IIを使っている自分としては色の再現性が少々がっかりだった。風景の見たまんまの色ではない。若干の色の違いが気になるのだ。わずか緑かかったくすみかかった感じだ。慣れれば問題はなくなりそうだが、感じた唯一の欠点だ。他はパーフェクトといっていい。

 

最後に、渋谷界隈を散歩して撮影したので、作例として紹介しよう。

今あらためてOMカメラの魅力

今回はあらためてOMカメラの話だ。

オリンパスのOMシリ-ズ一眼レフは1972年7月に発売された。ハーフカメラのペンシリーズ・ペンFTのヒットで勢いづき、本格的な一眼レフへの参入を切り開いたのだ。

そしてこのOMシリーズのベースになったのがOM-1だ。

当初、発売開始時の名称はM-1だった。が、エルンスト・ライツ(現ライカ)からのクレームに対応して翌1973年にOM-1に改称されたといのは有名な話だ。詳しくはこちらを参照してほしい。

OLYMPUS M-1

オリンパスM-1/OM-1は、一眼レフ市場に後発での参入となった。だが後発としての正しい戦略を見事に打って出たのだと思う。

後発としての正しい戦略とは何だろう。

それは先発のモノマネをするのではなく、むしろ先発の商品の弱点を突き、かつ、より特徴ある商品づくりをしていくことだ。

似たり寄ったりの商品で勝負すると、既存の市場参入で単に食い荒らそうだけの戦いになる。それでは先発には勝つことは決してできやしない。

後発が勝つためには、己の商品で己の新たな市場を作りあげることにある。まさしくオンリーワン戦略をとることだ。オリンパスのその戦略は見事に成功したのだと思う。

根強いOMフアンが生まれたのもそのオンリーワン戦略に誤りがなかったためだ。

今回、あらためてそのOMカメラの特徴ある作りを整理して紹介したい。

小型軽量~OMショックの登場~

小型・軽量であることは大きな特長のひとつとなっている。

F1.4の大口径レンズ付きでも720グラムと軽く、これは当時の一般的な一眼レフ機が1キログラムを普通にオーバーしていた時代、驚きのカメラだったといっていい。

同時に開発されたZUIKOレンズ群もボディに合わせて小型軽量に設計されている。

当時手持ち撮影は不可能とされていた300ミリの望遠レンズも、その軽さから三脚なしで撮影できるといわれた。

このOMショックはその後の小型軽量化競争のきっかけを作ることにもなったのだ。

後のNikon FM、PENTAX MXなどもOMカメラに触発され登場したものだろう。

特筆するのは、一眼レフでは避けられないペンタプリズムの大きさが極めて小さかったことだ。実にシンプルなデザインだ。

この小ささを実現するために、通常はプリズムの下に配置されていたコンデンサレンズを、プリズムの下面に大きなRを持たせることによって不要として、プリズム全体の高さを低くするという、既存の発想にとらわれない設計がなされていた。

こうした創意工夫はこれだけにとどまらず、このカメラはすべてを小さくコンパクトに収めるための様々な創意工夫がちりばめられていたのだ。

音が静か~エアバンパーの導入~

一度使って見ないと絶対にわからないのがシャッター音だ。一度シャッターを押したら最後、このシャッター音に魅了されて虜(とりこ)になってしまうとまで言われていた。

それがこの静かで優しいトローンとしたシャッター音だ。

一眼レフは構造上ミラーのアップダウン(クイックリターンミラー)のショックがつきもの。

だが、OMカメラではエアダンパーが取りつけられミラーショックを少なく軽快にする工夫を施しているのだ。

ミラーボックス横に立っている円筒形の部品がダンパーで、これが一眼レフに不可欠なミラーが作動するときに働いて、音とショックを吸収する役割を果たしていた。

小型軽量に設計されたOM-1だけに、クイックリターンミラーの音はともかく、このダンパーのおかげでで音とショックが軽減され、ぶれも軽減される一石二鳥の効果もあったのだ。

ただでさえ小さくスペースがないカメラの中に、このような機能部品を導入したという、オリンパスの当時の技術陣は、本当に素晴らしい仕事をしたと思う。

OMシリーズは、「小型軽量」をモットーにして開発されたことが最大の特徴だ。

OMシリーズの開発者、米谷美久(まいたに よしひさ)氏は、「大きく」「重く」「動作時の衝撃が大きい」という、「一眼レフの三悪」のないカメラの開発を目指してOMカメラを開発したという。

それが、小型軽量かつ、シャッターのショックが少ない名機となって生み出されたのだ。

宇宙からバクテリアまで~システム化の成功~

オリンパスはもともと内視鏡や顕微鏡を手掛ける光学メーカーだ。それを利してアダプタをはさむことでそれら内視鏡や、他社の望遠鏡と接続させて撮影することを可能にさせた。

後発でありながらうまく既存製品との連携を図り、商品を素早くトータルなシステム製品とすることに成功したのだ。現在においての商品マーケティングを考える上でもとても参考になる戦略だろう。やっぱ商売上手だなぁ。

シャッタースピードダイヤルの位置

シャッターダイアルはレンズマウントの基部にレンズシャッターのような形でリング状に配置されている。

設計した米谷美久氏は、小型化するためにシャッター機構を本体下部に役を得ず設置したためこうなったと述べているが、これの配置は実によくできた設計だったとおもう。

OMカメラの多くは露出調整はファインダー内の露出計の針をある一点に合わせることで適正露出が得られる作りになっている。

一般的に撮影とはは右手でカメラをホールドし、左手でレンズ鏡筒にある絞りを操作して露出を調整するものだ。

時に、ファインダを覗き込んだまま露出調整しながらにシャッタースピードを自由に変えたくなる。そんな場合、従来のカメラではダイヤルがシャッターボタン横にあるために右手を使う必要があり、カメラを持ちかえなければ(右手のホールドを解かなければ)ならないのだが、OMカメラではそのまま左手で絞りリングと同じ感覚でシャッタースピードを変更することができる。

つまりファインダーから目を離さず露出の指針を追いながらシャ速調整をするという、極めて自然な撮影スタイルが可能になるのだ。

ファインダーから目を離す必要なくタイムリーな調整ができるのはうれしい。

私はいまだに他のメーカがこの方式を採用しなかったか不思議でならない。(特許の関係でもあったのだろうか?)

このことはこちらにも詳しく紹介しているのでぜひ参考にしてもらいたい。

OMのシャッター速度調整リングの謎

露出補正の位置

ボディの上部、シャッター脇にある、一見シャッターと見間違う大きなダイアルはフィルムのISO感度設定用のもので、ISO25-1600を19段階に細かくわけてセットできる大変精巧な作りになっている。

現在では露出補正はボディ上部に配置され、スピーディに調整できるようにしてあるのが当たりまえだ。

ところがOM発売の当時のたのほとんどのカメラには「露出補正」がないか、ISO感度設定ダイヤルでそれを代用していた。つまり感度100のフィルムで感度を200にすれば+1の調整と同様になる。そういうやり方が一般的だったのだ。

OMが、ボディ上部のシャッター脇にISO感度設定を配置したのは先見性があったとおもう。オートの時代で一番よく使うのが「露出補正ダイヤル」だからだ。これが使いやすい位置にくるのは当たり前ではないか。

ところが当時としてはこれもOMカメラしかみられない場所だったのだ。

シャッターボタンの外周リング

シャッターボタンのまわりに外輪山のようなリング状のカラーが見えると思う。

この何でもないようなリングが、撮影がテンポよくできるための有効な工夫だった。

シャッターボタンは、押し初めから実際にシャッターが切れるまでにある程度のストロークがあるが、撮影スタンバイ時にシャッターボタンをストロークさせていくと、指の腹がこのカラーにあたったあたりでちょうどいいあんばいにバランスしてとめられる位置がある。

この状態からシャッターを押したいと思った時にほんのわずか、指に入力をするだけで、最後の0点何ミリかがストロークしてすとんとシャッターが切れるのだ。この絶妙な操作感がたまらなくよかった。

巻戻しクラッチの設置場所

従来のカメラは、フィルムを使いきったあとに巻き戻しする際、カメラの底についている巻き戻しクラッチボタンを押して巻き上げ機構をフリーにしたのち、巻き戻しクランクを回して巻き戻していた。

OMカメラではクラッチがシャッターボタン下のカメラ前面にある。

OMカメラのウリの一つに超高級機しか実現していなかった毎秒5コマのモータードライブ撮影が可能だった点があげられる。一般的なカメラでは、モータードライブを装着した状態だと巻き戻しをするたびにカメラ下に装着したモータドライブドライブユニットを外さないといけなくなるはずだ。

OMカメラではモータードライブユニットを装着したままで巻き戻しができるようにしていたのだ。

実に当たり前のようなことだか、これも他のメーカーが情けなく思えてくる。どうしてあんな場所に巻戻しボタン置いたのだ??

その他

ほかにも、被写界深度を確認するための絞込みボタンがレンズ正面から見て左下についていて、絞りを調整しているそのままのホールド状態で、中指もしくは薬指で操作できるとか、使いやすさとかシャッターチャンスを逃さないための工夫など、本当に行き届いた設計だ。

また露出用電源スイッチも、他の一眼レフのように本体下部の底に申し訳けない程度についているのではなく、堂々とカメラ上部の目立つ位置に配置された(現在では当たり前だが)。しかもこれが大きなレバーで、オンオフするとカチッカチッと小気味よく動いて気持ちがいい。こんな細かい点に対する配慮がファン層を広げたところだろう。

40年以上ものの前、いまデジタル時代とは全く違う次元で、かくも体の一部のように扱える撮影機械を生み出したオリンパス技術陣・開発陣の技術者魂には本当に頭が下がる思いだ。

OMのシャッター速度調整リングの謎

M-1(OM-1)から始まって、その最終系のOM-3Tiまで、OMカメラシリーズの特徴的な構造といえば、シャッター速度のダイヤルの位置にあるだろう。

今回は、そのOMカメラの独特な特徴の一つであるシャッタ速度ダイヤルについて取り上げてみた。

シャ速リングの位置の訳

多くのカメラでは、通常、軍艦部位置(巻き上げレバー・シャッターボタンの周辺位置)にシャッター速度ダイヤルが付いてる。

ところが、オリンパスOMシリーズでは、シャッター速度調整をリング形式で(「シャッター速度調整リング」と呼ぶ)、マウント基部(レンズマウントの付け根)にあるのだ。

そのため、ほとんどのOM ZUIKOレンズはレンズの先端側に絞りリングを配置している。(他社の多くは絞りリングを手前・マウント基部側に配置している)

 

こういう形状になったのは実は理由があった。

設計者の米谷美久氏は、製品開発のコンセプトとして「大きく・重たく・うるさい三大悪を排除する」とした。

そのコンセプトに基づいて、他社にまねのできない、より小さいカメラの開発が始まった。聞けば、当時のニコンの半分の大きさ、半分の重さを目指していたというから驚きだ。

だだ、必要なものは逆に大きくした。巻き上げレバーの形状や、マウント系やミラー、暗室部の容積は大きくしたのだ。そのためにギアやシャッター機能など必要な部品の収納容積はさらに小さくなる。小さな隙間ぎっしりと部品を詰め込む必要がでてきた。

こうしたことから、シャッター機能は暗室部の下部に配置せざるを得なくなった。これをカメラ上部の軍艦部から操作するのには無理がある。そのような工夫の中から、シャッター速度ダイヤルをリング式として、マウント基部に配置することになったのだ。

これがかえって操作性を充実させ、さらに当時最小最軽量というコンパクトさで世界を驚愕させたのだ。当時としては画期的な発想だったといえよう。

絞り優先マニュアル

私がOMを初めて手にした時、正直少々戸惑った。なぜなら、当時のニコンやキャノンが軍艦部においている様々なレバーやらダイヤルがかっこいいと思ったからだ。。正直、物足りなさを感じた。

ところが、使ってみて、そして慣れてきて、つくづくこの操作感には関心させられるのだ。

過去のAEブームの時代のオートといえば、「絞り優先AE」が中心だった。

絞りだけを操作すればシャッター速度は勝手にカメラが決めてくれる。なので、ササッと絞りの位置に手が行くことが肝要となる。

ところがマニュアル操作だとどうだろう。絞り優先で考えた場合には、絞りをセットしておいて、露出計に合わせ自分でシャッター速度を状況に応じて機敏に変えなければならない。

こういう状況を考えたときに、軍艦部にシャ速ダイヤルがあるのは頂けない。いちいち、ファインダーから目を離して、軍幹部を操作しシャッターを調整。そして、またファインダーをのぞきこんで露出を確認・・これを繰り返す操作となる。

 

これがOMの場合ではこうなる。

ファインダーをのぞき見ながら、絞りをセット、シャ速度を調整しながら露出を合わせる。

レスポンス対応能力がまるでちがうのだ。

しかもシャ速はいちいち目で確認する必要がない。なぜなら、すぐに体で覚えられるからだ。

リングを回すための左右の突起の位置が水平なら60秒だ。右を上げれば速度は速くなる。左を上げれば、1秒までだ。左をあげるときはブレに最大限注意だと体で覚えればよい。

軍艦部にシャ速ダイヤルがある場合、ファインダーから目を離さず、体で・・・というわけにはいかない。クリクリ回す、どこまで回したのか、現在のシャ速値は、さっぱりわからなくなるだろう。

ファインダーに速度が表示されるカメラもあるが、どうだろう。なぜなら、ファインダーをのぞきながら、レスポンスに備え、右手人差し指をシャッタ―ボタンにおいた状態で、どうやって右上部にあるシャッター速度ダイヤルを回すのだ?

赤塚不二夫のシエーのポーズになっちゃうだろー!!(笑)。

 

よく、OMの新機種が発売されるたびに雑誌などで、「OMはシャ速を確認するために前のめりにならないと見えにくい」などと評価するシッタカ記事を見ることがあった。

これは使ったこともない人の詭弁だ。使ってみればわかる。シャ速はダイヤルを目で確認しなくとも触って使ってみればわかるものなのだ。

つまり、マニュアルによる絞り優先撮影にはとても利便性が良い。チャンスに素早いレスポンスが可能だ。もちろん絞り優先AEは絞りだけを動かせばよい。

さらにはシャッター速度優先AEの場合にも有効と考えられる。だが、OMは最後までシャッター速度優先AEの登場はなかったのが残念だ(OM-2Spot&Programや、om40はProgramAEだった。)このOMの独特の形状を活かしてシャッター速度優先AEを実現すればよかったになとつくづく思う。

他にもあるシャ速リング式

OMの特徴な作りとして紹介したのだが、実はこの「シャッター速度調整リング式」はOMだけではない。

Nikon ニコマートFT、マミヤ NC1000S にも採用されている。

だが、ニコンもマミヤもすぐにやめてしまっている。レンズの絞りリング位置はマウント側でもあり、シャ速リングと絞りリングが非常に近いために、干渉し、使いにくいカメラになってしまったことが理由だろう。OMの場合はレンズもカメラも同時にOMシステムとして統一思想で生まれたカメラシステムだ。従って、操作的な統一ができていたのがうまくいったように感じる。

それにニコンは、絞り値をカメラに伝えるためのレンズの爪機能がその後不要となっても、ニコンの象徴として残された。こうしたアイデンティティーとの兼ね合いもあったのか、構造上無理があったか、シャ速リング式は廃止になった。写真でみてもなんとなく使いづらそうだ。

それにニコンは絞り値を光学的にファインダーから確認できる機種が多くあった。これは正直羨ましかった。OM機の場合にはどうやっても絞り値は目視しないとわからない。

それに、シャ速の操作性はばっちりだったが、絞りリングの位置はレンズ毎で位置が違うので、一瞬探すのに戸惑うことがある。まあこれについてはやむを得ないだろう。でもこの形状のおかげでシャ速の快適な操作が可能なのだ。我慢しよう。

近年のデジタル機にも採用してほしい

ところで近年のデジタル一眼レフ(ミラーレス)は本当にすごいと思う。かつてではできなかった絵作りができるというだけで感動だ。

ただ、シャ速や絞り値調整の操作性については意見がある。

 

例えばOM-D EM-1だ。

シャッターボタン近くの軍幹部にある二つのダイヤル、フロントダイヤルで露出補正。リアダイヤルは絞り優先オートでは絞り調整、シャッタースピード優先オートではシャッター速度を調整するようにできている。

最近のほとんどのデジタルカメラはこれの操作であたりまえのことであろう。でも私にはこの親指でクリクリするのはすきじゃない。まどろこしいのだ。F32からF2までさっと移動させたいのに、親指でクリクリクリクリやり続けなければならない。ブレの原因にもなるし、、そのうちシャッターチャンスを逃すかもしれない。

 

かつてのOMユーザ、オールドOMを親しんだ世代はみな、レンズのピントと絞りとならんでシャッター速度を左手で調整する。左手でピントリング、絞りリング、シャ速リングを回すのだ。

右手人差し指はシャッターに集中だ。だからいい作品作りが可能になるのだ。このスタイルは体に染みついている。これこそオリンパスの伝統でありOM文化といえよう。

どうして昨今のOM-Dのデジタルカメラでも、この操作性のOM文化を継承しようとしなかったのだろうか。伝統とは形だけでなく心の問題だ。

右手の親指クリクリよりもマウント周りににリングをつけてササーとレンズを支える左手で操作したほうがレスポンスは絶対にいいはずだ。

こうしたオリンパスが持つ操作性におけるオリジナリティを大切にした商品をこれからも出してほしいものだ。

 

あり得ないとは思うが、35mmフルサイズでOMマウントを活用した復刻版OMシリーズをデジタルで出してほしいものだ。その場合もちろんシャ速と絞り値はリング式でお願いしたい。もちろんシャッター速度優先AEも実現さえて。

まあ無理か。

OM-SYSTEM カメラの歴史

今回はOM-SYSTEMのカメラ本体の歴史を紹介する。

オリンパスM-1/オリンパスOM-1(1972年7月発売、1973年5月改名)

M-1

M-1

発売当時、135フィルムを使用する24×36mm(ライカ)判のレンズ交換式一眼レフカメラでは、世界最小最軽量であった。それまでの常識を覆す小さく軽いボディとエアダンパーを併用した静かなシャッター音は周囲を驚かせ大きな反響を巻き起こすことになる。
小型化のためにシャッター秒時制御のガバナーをミラーボックス下部に配置、シャッター速度ダイヤルをマウントと平行つまり同心円上に配置し、これがOMボディの特徴となった。
エルンスト・ライツ(現ライカ)からのクレームに対応して改名しM-1からOM-1となった。

オリンパスOM-1MD

OM-1MD

OM-1MD

オリンパスOM-1にモータードライブを装着するためには底蓋交換が必要であったが、最初から装着可能な底蓋としたもので、内部機構に変更はない。

MDのエンブレムがついているが、ちゃちなシールなので現在ほとんどが剥がれかけている。海外向けは右下につけられているが、金属のエンボスのエンブレムで、グレードがよい。

オリンパスOM-2(1975年11月発売)

OM-2

OM-2

フィルム面から反射して来た光量を測って露光をコントロールするTTLダイレクト測光を採用、これによって撮影中の露出制御が可能になり、専用フラッシュを用いたTTL自動調光を実現した。自動露出の上限は60秒。

オリンパスOM-1N(1979年3月発売)

アクセサリーシュー4使用によりフラッシュ充電完了表示確認、フラッシュ適正発光表示確認がファインダー内で可能になった。その他フラッシュ動作改善。

オリンパスOM-2N(1979年3月発売)

アクセサリーシュー4使用によりフラッシュ充電完了表示確認、フラッシュ適正発光表示確認がファインダー内で可能になった。その他フラッシュ動作改善。自動露出の上限を120秒に延長。

オリンパス OM10(1979年6月発売)

OM10

OM10

フラッシュ撮影時のTTL自動調光を省略・フィルム自動巻上げについてモータードライブには対応せずワインダーのみに対応するなど設計簡素化した普及版AE機。ボディー単体では絞り優先オート専用機だが、マニュアルアダプターというオプションを装着することでマニュアル露光による撮影が可能となる。

オリンパスOM20(1982年10月発売)

オリンパスOM10の上級版。マニュアル露出を内蔵し、モータードライブに対応。

オリンパス OM30(1982年11月発売)

35-70mmF4の純正オートフォーカスレンズと組み合わせてオートフォーカス撮影が可能。M.インフォーカストリガーコード、ワインダーを併用することでピントのあった瞬間にレリーズされる「ゼロインフォーカス」機能による撮影が可能。

オリンパスOM-4(1983年10月発売)

中央重点測光の他、最大8点のマルチスポット測光機構を持つ。新開発のモータードライブ2使用により、フィルムの自動巻き戻しに対応。

オリンパスOM-2SP(1984年10月発売)

プログラムAE機能と、マニュアル露出時のスポット測光機能を搭載。OM-2の名を冠しているものの完全新設計の機種。

オリンパスOM-3(1984年10月発売)

シャッター制御は最高速1/2000秒・全速機械式のマニュアル専用機。中央重点測光とマルチスポット測光機構はオリンパスOM-4と同等。生産台数が少なく、製造中止後人気が上がりオリンパスOM-3Ti発売までプレミアム価格で取引されていた。

オリンパスOM40(1985年4月発売)

ESパターン測光と称する分割測光により逆光補正の自動化を実現。プログラムAE機能も搭載された。TTLダイレクト調光に対応。愛称「逆光強」。

オリンパスOM-4Ti(1986年7月発売)

オリンパスOM-4のチタン外装バージョン。専用ストロボ使用により、高速シャッター時にも対応する「スーパーFP発光」同調機能を追加。

オリンパスOM707(1986年10月発売)

オートフォーカス。グリップ部から縦長のストロボがポップアップするギミックが特徴。愛称「ストロボーグ」。

オリンパスOM101(1988年2月発売)

オートフォーカス機能はなく、OM-707用オートフォーカスレンズを使用するときは本体側のダイヤルを回してピントを合わなければならない。マニュアルアダプター2によりマニュアル露出可能。工業用内視鏡デジタルカメラシステム専用ライカ判カメラSC35 (TYPE15)として長らく現行であった。

オリンパスOM-4Tiブラック(1989年4月発売)

オリンパスOM-4Tiの黒塗装バージョン。

オリンパスOM-3Ti(1994年11月発売)

OM-3Ti

OM-3Ti

オリンパスOM-3のチタン外装バージョン。TTLダイレクト調光及びスーパーFP発光制御を追加。生産に当たっては社内に資料が少なかったため、中古で購入したOM-3を分解し、構造を解析したと言われている。

オリンパスOM2000(1997年7月発売)

マニュアル専用機。コシナからのOEM。基本設計が共通のコシナOEM品には、リコーXR-8スーパー(Kマウント、ペンタプリズムが銀蒸着)、ニコンFM-10(ニコンFマウント、ミラーバランサー搭載)がある。

~ウィキペディアより抜粋~

OMカメラ /PENシリーズ/XAシリーズ/他の発売日年表

私が持参するOMコレクション他の発売日の年表を作ってみた。何かの参考になれば幸いだ。

なお、一眼レフのレンズは主にセット販売される場合のレンズ名を記載した。

発売年月カメラ名称レンズフィルムサイズカテゴリー
1952(昭和27)年04月オリンパス クロームシックス ⅢBZuiko
75mm F2.8
120
(6×6とセミ版)
6X6版スプリングカメラ
1954(昭和29)年11月オリンパス フレックス A3.5Zuiko 75mm F3.5
F-Zuiko 75mm F3.5
120
(6×6)
6X6版二眼レフカメラ
1963(昭和38)年09月オリンパス PEN F F1.8F-ZuikoオートS
38mm F1.8
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1965(昭和40)年04月オリンパス PEN F F1.4G-ZuikoオートS
40mm F1.4
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1966(昭和41)年10月オリンパス PEN FTF-ZuikoオートS
38mm F1.8
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1967(昭和42)年 月オリンパス PEN FT F1.2H-ZuikoオートS
42mm F1.2
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1968(昭和43)年03月オリンパス PEN EES-2D-Zuiko
30mm F2.8
135
(ハーフ)
ハーフ版レンズシャッターカメラ
1968(昭和43)年xx月オリンパス PEN FT ブラックG-ZuikoオートS
40mm F1.4
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1971(昭和46)年06月オリンパス FTLF-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1972(昭和47)年07月オリンパス M-1G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1973(昭和48)年05月オリンパス OM-1G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1974(昭和49)年10月オリンパス OM-1
(MD)
G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1975(昭和50)年11月オリンパス OM-2G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1979(昭和54)年03月オリンパス OM-1NG-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1979(昭和54)年03月オリンパス OM-2NG-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1979(昭和54)年05月オリンパス XAF-Zuiko
35mm F2.8
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1979(昭和54)年06月オリンパス OM10F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1980(昭和55)年06月オリンパス XA2D-Zuiko
35mm F3.5
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1982(昭和57)年10月オリンパス OM20F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1982(昭和57)年10月オリンパス XA1D-Zuiko
35mm F4
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1982(昭和57)年11月オリンパス OM30Zuikoオートズーム
35-70mm F4
オートフォーカス
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1983(昭和58)年10月オリンパス OM-4G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1984(昭和59)年10月オリンパス OM-2 SPG-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1984(昭和59)年10月オリンパス OM-3G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1985(昭和60)年04月オリンパス OM40F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1985(昭和60)年04月オリンパス XA3
クォーツデート
D-Zuiko
35mm F3.5
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1985(昭和60)年04月オリンパス XA4 マクロ
クォーツデート
D-Zuiko
28mm F3.5
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1986(昭和61)年07月オリンパス OM-4TiG-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1986(昭和61)年10月オリンパス OM707AF 50mm F1.8135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1988(昭和63)年02月オリンパス OM101
パワーフォーカス
AF 50mm F1.8135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1994(平成6)年11月オリンパス OM-3TiG-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1997(平成9)年10月オリンパス OM-2000S-Zuikoオートズーム
35-70mm F3.5-4.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ

 

OMボディの撮影しました。

今日はOMボディの撮影をしましたー。

一応ね。M1~OM707までひととおりOMシリーズはすべてコレクションしています。

PenFTとかXAシリーズもね。
持っているだけじゃもったいなから、皆さんに紹介しようかと。

そのうちあっぷしますのでよろしくおねがいします。

こうして並べてみると圧巻だな。

ZUIKOレンズも記念撮影。どこなでつかえるかなぁ